分単位の精度の生活が、実は“丁度いい”
■僕たちは機械式時計が好き
「丁度いい」って、どういうことでしょう。
このことを考えるのであれば、時計を例にすると分かりやすいと思います。レンジローバーオーナーの皆さんは、機械式時計が好きな方が多い。
私たち日本人は、おそらく世界で一番時間に厳しい民族だと言われています。なのに、どうしてみんなデジタルの時計をしないのでしょう? 今の電波時計なんか、基本的に「時間が狂う」なんてことはあり得ません。世界を飛び回るビジネスマンなら、時差の調整もする必要がありません。腕につけているだけで良い。メインテナンスも、基本的に必要がありません。デジタルの時計は、こんな便利なものなのに…。
■「クロノス」は時の神様の名前
ギリシア神話で時間の神様は、クロノスという名前です。SEIKOは、その神様の名前の時計を1958年に発売しました。時を正確に刻むという意味があるのでしょう。ちなみに、クロノスという言葉はクロノメーターの語源になっています。
当時のSEIKOクロノスは、厳密な意味でのクロノメーターではありませんでしたが、昔から時を正確に刻む時計は、人類の憧れの的だったのでしょう。クロノスという名前は、それを物語っているようです。
のちにSEIKOは、クロノスをベースにして、稀代の銘器GRAND SEIKOを生み出すことになります。
■「正確な時」への憧れ
実は、ギリシア神話のクロノスは、もともと農耕の神様なのです。季節の移ろいを正確に知ることができないことは、農耕民族にとって死活問題になります。この頃の人々が求めた時間の正確性は、きっとカレンダー単位ぐらいだったでしょう。
時代は下って大航海時代、船の現在地を知らないことが死活問題になりました。太陽の位置と時刻から、その現在地を知ることになります。波の影響を受けない時計に、マリン・クロノメーターの称号が与えられました。この頃、人々が求めたのは、恐らく30分単位の精度だったと思います。
こうして、正確な時計にはクロノメーターという称号が与えられるようになりました。1939年のことです。鉄道が走り、人々は分単位の正確性を求めるようになります。OMEGAの傑作コンステレーションシリーズの裏蓋に、グリニッジ天文台の刻印が施されているのを見ても、正確な時への人類の憧れを感じます。
■「時計」に拘束され始めた生活
1日に数秒単位でしか狂わない時計が次々に開発されるようになると、時計はほかの機能性を帯びるようになります。ROLEXがオイスターケースを発明し、深海でも耐えうる防水性と堅牢性を時計は獲得します。ミルガウスは防磁性という特殊な機能を獲得します。
人類が飛行機を手に入れた頃には、さらに多機能な時計が開発されます。BREITLINGのナビタイマーなどは、その代表選手です。軍用には単純で壊れにくく、視認性の良いものが開発されます。PANERAIの大きなフェイスはそれが起源になっています。
人類が、日差数秒単位の精度を当たり前に実現することができる時代になって、機械式腕時計は、精度以外の機能性を追求するようになりました。そして、1970年以降に安価で正確なクオーツが発売されるようになっても、機械式腕時計を愛し続ける人は一定数、ずっと存在し続け、現在に至っています。
■ゆったりとした「時間」を求めて…
現在では、パイロットでない人もナビタイマーを愛し続け、潜水夫でない人がサブマリーナを愛し続けています。それぞれの時計が持つ歴史と個性を愛しているようです。秒単位の精度を獲得した現在、決して時間の正確性を求めているようには思えません。
こう考えると、私たち人間は本来、秒単位以上の精度は必要なく、むしろ秒単位の時間に拘束されるのは体内時計に反しているのか、不快に思えるのではないかとも思えます。
私たちには分単位の精度の生活が、実は「丁度いい」のではないでしょうか。
そして、10年後もこの時計を持ち続け、愛し続けることができるかと考えると、選択肢は決して電波時計ではなくて、歴史の中で切磋琢磨されたクラフトマンシップが反映された機械式腕時計になってしまうのではないかと思うのです。
腕に巻いている機械は、秒単位の時間で私を拘束してほしくない。私の心臓と同じリズムを刻む相棒でいて欲しい。
「丁度いい」って、そういうこと。
個人的にはユニタスの低振動ムーブメントが、ゆったりとテンプを動かしている時の刻み方が一番性に合っていると思えてなりません。レンジローバーを選んだ理由も、それに近いのかもしれません。