会社設立と離婚
二人の息子のシングルファーザーに
20年前、19歳。毎日のように運転していたクルマはバンプラだった。
自分の人生の岐路が本当はどこだったか、男なら思いをめぐらすことがあるだろう。彼は19歳にして、将来乗るべき運命のクルマに出会うことになる。
「19歳の時、カメラマンのアシスタントをしていたのですが、その時の師匠の愛車が新車のバンデンプラだったのです。師匠はバンプラのあの広い後部座席で優雅にくつろぎ、僕は彼の運転手としてバンプラを走らせていました。良くも悪くも、最高のクルマを10代で知ってしまったわけです。その時に、将来は必ずレンジローバーを自分で買って乗るんだと決めたのです」。
広告代理店での週7激務の毎日。そこにアイデンティティなど確立できない。
クリエイターの道を歩み、広告代理店に入った。週7日激務のサラリーマン生活を続け、持ち前の企画力で一気にキャリアを積んでいき30歳に。そして結婚、二人の息子が誕生。
その時、彼に大きな転機が訪れる。彼の感じていた豊かさは、都会で完結するものでもなければ、自分の時間をお金で切り売りするものでもなかった。
「ふと気付いたんです。まったく子育てもできないし、このままで良いのかと。自分にとっての古き良き時代は、クリエイター仲間たちと海でインスタレーション(空間を利用した現代美術の表現方法)をしたり、海沿いのカフェで夕暮れ時に集まっては、夢を語れるようなゆったりとした生活でした。到底そんな生活はできない状況だったし、キャリアは積んでも時間の余裕は見えて来なかった。なにかが絶対におかしいと思い続けてました」。
会社設立と離婚。二人の息子のシングルファーザーに。
「週7日間仕事のサラリーマンで、親として今後どうなのか、子供はどうなるのかを真剣に考え、独立を決心しました。企画力とクライアントがいてくれれば、生活はきっとできると…」。
しかし、その後クリエイター同士の夫婦の将来像はズレていってしまう。そして二人の息子を引き取り、シングルファーザーに。
「いろいろありましたが、そこからはもう男3人チームでの毎日です。息子達はまるで兄弟、仕事が子供のような存在です」。
東京~厨子間50㎞。郊外ライフスタイルへ。
多くの都会人が、求めてはいるけど決断できない『郊外ライフスタイル』。必要なもの、そうじゃないものを、愛を持って見極めて突き進むアイデンティティは、すべての男が持ちながらも、失いかけているものかもしれない。
「いよいよレンジローバーを所有しました。あの頃バンプラで感じた世界観が、ちゃんと残っていたのが嬉しかったですね。今は息子達を引き連れ、冒険する旅人のような生活です。
震災をキッカケに、表参道から逗子に仕事の拠点も変えて、子供達の未来にある、あらゆるリスクを踏まえ、どう順応し、環境を許容し、強く生きていくかを模索しているところです」。